2018年04月18日(水)

『死』について

過激なタイトルですね。

日本国内において『死』について書かれている書物はとても少ないです。

それは当然ながら御上からの規制がかかっているからです。

戦時中にはヒトラーですら愚策と言わしめた、特別攻撃隊を考案し実行したお国ですからね。

また切腹や玉砕という日本独自の考え方とGHQとの兼ね合いもあり

我が国や出版社は、死に対する考え方や向き合い方に敏感になっているのでしょう。

 

でも私個人としては『死』を考えることはとても大事なことだと思っています。

以前から申し上げているとおり、この世は陰陽から発生しているのですから

光と闇

善と悪

男と女

運命と宿命

巡行と逆行

生と死

 

光があるからこそ、影である闇がうまれる

男と女は平等であり同価値のように

生と死も平等であり同価値なのです。

 

時の流れを理解し、死という状態を理解できているのは人類以外いないとされています。

もっとも知能の高いチンパンジーやオランウータンですら、死を理解できていないそうです。

でも死を理解した人類は、死に対する恐怖も知ることになりました。

そして科学や医学は進歩しても死後のことは一切解明できていません。

死は必ずいつか微笑みかけてきます。それに対して人類は微笑み返すしかありません。

さらに言えば自殺以外、人は自分の死に方を選択できません。

(まぁ、遺体の冷凍保存や脳をデジタル化する技術がありますから、永遠の命ももう目の前ですが)

 

これがどうして『生』と同価値といえるのでしょう?

それは『生』自体が軽くなったからでしょう。

『生』の価値が低くなったと言えるのかもしれませんね。

その結果が現在の日本の抱えている問題の根本ともいえるのではないでしょうか?

 

ではどうするべきなのか?

それは真逆にある『死』をもっと見つめることなんじゃないかと思うのです。

『死』と向き合い、現実的に具体的に考えてみましょう。

それはとても恐ろしいことかもしれませんが、それは生きることと同じです。

 

我らは進化と言う天ばかりを仰ぎ見てきたように思います。

月面に降り立った、ある宇宙飛行士が言いました。

 

 なぜ我らは月を目指したのか?

    それは月に到達するためではない

        月から碧い地球を見るためだ

 

なんじゃ、それッ!!

 

宇宙飛行士とは世界の科学の頂点に触れることのできる人たちです。

そして人が存在することを許されない宇宙と言う死の空間

当然無事に地球に降り立てる保障などどこにもない冒険です。

そこをよりリアルに感じることができれば、この言葉の本当の意味がわかることでしょう。

 

 

 

 

 

 

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