善悪の判定
ニーチェに言わせると、物事を自分の中に取り込んだ瞬間、それを善か悪かに分別しないといけなくなるらしい
日本の諺の中には「喧嘩するほど仲が良い」とありますね
マザーテレサいわく、「嫌い」という感情は憎しみや怒りではなく「無関心」であると言っています
もう一つ日本の諺で「夫婦喧嘩は犬も喰わぬ」とあります
それに対して知らなければ存在すら知らないし、当然そこには善も悪も発生しない
ということは物事自体に善や悪があるわけではなく、それぞれ個人がそれ理解したうえで『善』とするのか『悪』とするのかということ
年明けにプーチン大統領の支持率が100%を超えたというニュースがありました(意味不明)
ロシア人からしたらプーチン大統領は紛れもなく『善』なのです。
ウクライナ人からしたらどうでしょう?多分大半がプーチン大統領を『悪』と答えるでしょう。
アメリカはどうでしょう?前大統領の時はプーチン大統領は『悪』でしたが
トランプ大統領に変わり『善』になりました。
要するに善と悪は簡単に入れ替わるという事です。
それは何故でしょう?
恋人同士や夫婦の喧嘩というのは「怒り」や「悲しみ」から文句が出るんです。
文句というのは「なんで私の気持ちがわからないの?」ということで
すなわち「私の気持ちを分かってよ」ということであり
それは理解してほしいと求めていることなんです。
相手を突き放そうとしているわけではないのです。
「犬も喰わん」のは、そんな夫婦のやりとりは「のろけ」であり
そんな甘いものは喰わんということ
「嫌い」=「無関心」であるということは
「もう私の気持ちを分かってくれなくてもいいよ」ということであり
そこには文句のひとつも出てこないことになります。
分かれる直前の恋人たちは大概無言です。
ただ、現在日本の恋愛事情を見てみると、約50%のカップルは別れても復縁しているんだそうです。
それは「好き」でも「嫌い」でも「善」でも「悪」でも、それを判断しているということは
もうその対象となるものが自分の中に入ってしまっているからであり、無視することができなくなっているからです。
無視できないということは、目をそらすことができないということであり「気になる」わけですよね。
これが『人気』というものです。
曹操孟徳が言いました「悪名も人気である」