座禅と自由
皆さん自由はお好きですか?
私は常に自由にたのしく生きています♪
私はお金がありません。
嫁も彼女も子供もいません。
でも在るモノの中で自由に楽しくいきています。
やりたいことが多すぎて時間が足りません♪
ところで『自由』とはなんだと思いますか?
何をどうしても良いということでしょうか?
制限や規制を受けないことでしょうか?
欲望のままに生きることでしょうか?
神は言いました
「聞いてもいいが見てはいけない、見てもいいが触れてはいけない、触れてもいいが味わってはいけない」
アレイスター・クロウリーは言いました
「汝の思うところをなせ、それが法のすべてとならん」
自由ということは心をコントロールすること
人の欲にはキリがありません
世界の六財閥には世界のお金のほとんどが集まっています。
彼らは地球をまるごと1個(海も山も建物も人間もすべて)買うだけのお金があるそうです。
それでもなお彼らはお金を稼ぎ続けています。
でも彼らにも限界があります。
ほとんどのお金が彼等の元にあるわけですが
全てのお金が手に入ってしまった場合どうでしょう?
いや、もっと身近なところでお話ししましょう。
酒も女も博打もやりたい放題生きてきた一休宗純
死の間際の言葉は「まだ死にとうない」だったそうです。
要するにどんなものにも限度があるし無限ではないのです。
お金も人生も地球も宇宙もね
何かの限界に達したとき、人は我慢したり諦めなければならないわけです。
何もかも自由にしていたら、警察に捕まったり世間からのけ者にされるかもしれません。
我慢したり諦めるということ、それは制限されていることでありストレスなわけです。
制限されている、それは自由ではないということですよね?
心や欲望を自由にさせることは悪くはありません
でも制限なく自由にさせていくと、必ずどこかで制限を受けてしまうわけです
ということは心や欲望をうまくコントロールし、それらは自由にさせすぎないこと
制限を理解すること、受け入れてしまうことが本当の自由なのかもしれません。
座禅を組みましょう。
座禅は体内の陰気と陽気のバランスを整えます。
気のバランスが崩れることを「気が狂ふ」と申します。
そうなると心はコントロールを失います。
海峡のジンベエは言いました
「失ったものばかり数えるな。無いものは無い!」