猫の運命
友人がバイク事故を起こしました。
深夜の単独事故で、幸いにも被害者はいませんでした。
ただ、友人のケガの程度はひどく、生死に関わるもので
仮に助かったとしても後遺症は免れないかもしれない・・・
事故発生の12時間前、バイクは故障して動きませんでした。
動かない原因を調べていくと、どうやらバッテリーがダメになっていることがわかりました。
友人はバッテリーを買うお金が無かったため、バッテリーの購入を悩んでいました。
ただ、私も彼のバイク好きは知っていたので、彼にバッテリー代を貸すことにしました。
そしてバイクショップに着いたのは閉店5分前、滑り込みセーフです。
そこから彼の会社の社長にお願いして、職場の作業場を借り
そこでバッテリーの交換をすることになりました。
交換を終えると、早速試運転♪
彼にとっては、エンジンがかかったことバイクに乗れることがとても嬉しかったのでしょう。
その姿はまさに子供がおもちゃを買ってもらった時のように、無邪気にはしゃいでいるように見えました。
「少し、行ってくる」と言い残してバイクにまたがり飛び出していきました。
私は彼の部屋でテレビを見ながら待機することにしました。
彼はなかなか帰ってきません。
パトカーのサイレンが聴こえてきました。
続いて救急車のサイレンが聴こえてきました。
でも、「そんなことはない」と思っていました。
そこからどれほど経ったでしょう。深夜に警察から電話がありました・・・
シュレーディンガーの猫は、生きていたのでしょうか?それとも死んでいたのでしょうか?
蓋を開くまでその結果はわからない
でも、蓋の奥ではすでに結果が出ている?
それともコペンハーゲン解釈のように、蓋を開ける前はふたつの現実が存在し
蓋を開ける瞬間に結果はどちらかに収縮されるものなのだろうか?
そんなことは、ありえないと思う。
ミクロに影響するマクロの結果が蓋の奥では起きているはずなんだ
でも、この理論のミクロの部分に『猫の運命』という力が発生しているとしたらどうなのだろう?
今回の事故も、ピラミッド状に組み立てられた積み木の頂上に『事故』というものがあるのだとしたら
事故を起こした本人の責任だけではなく、そこに導いてしまった、私の行動や、お店の営業時間、職場を貸してくれた社長の寛大さ・・・
ほかにもいろんなモノや条件が、事故のピラミッドを形成していたとするのなら・・・
ピラミッドを形成している積み木のひとつでも欠けていたら
それを崩すことができたら、事故は起きなかったのだろうか?
シュレーディンガーの猫に話を戻すなら、ミクロ=運命という解釈ができるのだろうか?
そもそも猫を入れた箱の蓋が透明だったら、どうなっていたんだろうか?どういう解釈になったのだろうか?
友人の事故をネタにするなど、私は不謹慎にもほどがあるな
自分を責めるわけではない
でも私は占い師だ、人の運命や未来を見る職業として
どうしても、それを考えてしまうし
だからこそ、私がその結果を変えることができたのではないか?
いや、矢張りどうしようと変えられなかったのか?
今となっては、私が彼にしてあげられることは少ない
でも、今自分に何ができるのかよく考えよう。
只々、一刻も早い彼の回復を祈ろう。