『大義』
自分の為だけに生きて、自分の為だけに死ぬというほど人間は強くないんです
人間というのは理想なり、何かの為ということを考えているので
生きるのも、自分の為だけに生きる事には、すぐ飽きてしまう
すると死ぬのも何かの為ということが必ず出てくる
それが昔言われた「大義」というものです
そして「大義の為に死ぬ」ていう事が人間の最も華々しい
英雄的な立派な死に方だという風に考えられていた
しかし今は大義がない
これは民主主義の政治形態ていうものは「大義」なんてモノはいらない政治体系ですから当然なんですが
それでも心の中に自分を超える価値が認められなければ、生きてる事すら無意味になるというような心理状態がないわけではない
自分にかえって考えてみますと、死はいつかくるんだと、それは決して遠くない将来にくるんだ
ていう風に考えていた時の心理状態は、今に比べて幸福だったんです
それは実に不思議なことですが、記憶の中で美しく見えるだけでなく
人間そういう時に妙に幸福になる、そして今、我々が求めている幸福というものは
生きる幸福であり、そして生きるということは家庭の幸福であり、レジャーの幸福であり楽しみでありましょうが
しかし自分が死ぬと決まっている人間の幸福というものは、今ちょっと無いんじゃないかなと・・・
上記は三島由紀夫のことばです
こんなことを書くと政治結社か宗教団体かと疑われるかもしれませんね
どちらでもなく、わたくしは小さな街のしがない占い師です
世界が大きく動くとき必ず「大義」があります
「大義」がある(発生する)からこそ世界が動くのかもしれません
先日30年という節目を迎えた地下鉄サリン事件
麻原彰晃率いるオウム真理教にも「教義」という「大義」があったのでしょう
だから、警察や政治家を含め私たちは多くの死者と被害者を生んでしまったのです
大義がなければ敗れます
また大義がなければ流されます
だから統一教会に流され、国連に流され、WHOに流され、裏金問題の政治家に流され、フジテレビの報道に流され、米国に流されてきたわけですよね
これが「正義」なんだと言われたら疑うことなく妄信してしまう私たち(私以外の人たちねウフフ)
だから言うのです。自分でしっかりと考えなさいと
三島由紀夫がすべて正しいとは言いません
でも、彼が自決する直前に放った檄文そのままの状態に、今日本は成っていますよね
彼が檄文を読み上げている様子は今でも動画配信サイトで無料で見れます
彼の周囲に集まった自衛官たちは三島に罵声を浴びせるだけで、檄文を聞かなかった
聞かないということは、受け入れて考えることをしなかった
三島由紀夫がすべて正しいとは言いません
が、まずは聞きましょう
一旦受け入れましょう
そして考えて、否定するもよし肯定するもよし
否定するなら代案を出しましょう。自分ならどうするかを考えましょう
それが自分自身の「大義」となります
そうすれば簡単に流されなくなります
今はアナログがデジタルに切り替わる時代の最終転換点です
カセットテープがCDに変わるわけではありませんよ
肉体もお金も考え方もすべてがデジタル世界に転換される最終転換点ですからね
中二的で都市伝説的な考え方かもしれませんが、みなさん「大義」をもって過ごしていきましょう