神様の事
ひょんなことから、とあるお店のお祓いをすることになりました。
今回の場合は、お店自体を祓う『大祓い』とお店の店主を祓う『祓い詞』をあげることになります。
お値段は相場の半値以下でやるつもりです。
何事も過不足があると私にも依頼してきた方にも傷がつくことになるのですが
私としては、相場の半値でも十分すぎる報酬かと思いますからね。
そんなことで、今日は占いから少々離れ、神様の事をお話してみようと思います。
世界にはいろんな神様がいますが
基本的にはこの世を作った創造主的な存在ですね。
雲や風、海や山などの自然をつくり、動物たちを生み出し、最期に自分に似た存在である人間を作ったと言われています。
ですから、神様の石像や神様を描いたものは人間の姿と似ているわけですね。
またそれは姿や形だけではなく、考え方や性格も似ています。
ある西洋の神様は、突然地上に降り立ち、食料を食い漁り、建物をぶっ壊し、多くの人の命を奪い、女を犯しつくし
天上界へと帰っていきました。
神様という存在はときに人を救いもすれば、ときには『天災』と称して多くの人の命を一瞬にして奪ったりもするのです。
日本で言えば3.11などはそれにあたるのでしょう。
神様はなぜそのようなことをするのでしょう?
それは人間が身勝手なように、神様もおなじ身勝手なのです。
自分で作った『地球』という模型があるのでしたら
それを部屋に飾って愛でるも勝手
腹が立ったらそれを壁にぶつけて、ストレス解消するも勝手ということです。
聖徳太子いわく「神は祟る」と仰いました。
機嫌がよければ良いのだが、一旦逆鱗に触れようものなら手が付けられない
ならば『神社』という居心地の良い場所をつくり、煽て奉る(おだてたてまつる)ということをしたわけです。
それが「奉」→「祭」となるわけですね
では、どのような事で神は怒るのでしょう?
たとえば、上司に対し誉め言葉をかけたつもりが突然怒り出した
なんてことはありませんか?
過去に嫌な記憶があるのか、要するに地雷を踏んだという状態ですね。
神様は人間に非常に似ているので、これも同じこと
どんな些細な事でも、何が引き金になるのかは分からない
それも日本には八百万(やおよろず)といって800万の神々が存在し、それぞれ違う個性や性格を持っています。
ほんとに厄介なものですね。
なので、身なりを正しくし、伝統的であり形式的な態度であれば良いのか?というとそうではないのです。
人間と同じですから、身勝手ですし、矛盾していますし、狡猾ですし、優柔不断で適当です。
お笑い芸人の狩野英孝さんは神主の資格を持って実際にお祓いに従事したりしていますね。
彼いわく、先輩であれ誰であれ敬語が使えないそうです。誰に対してもため口です。
もちろんそれは神様に対しても同じです。
でも、彼は神主を続けることができています(今のところ)
なぜでしょう?
それは前述した通り、神様は適当だからです。
敬語が使えなくたって、そんな細かい事を気にしません。
それと狩野英孝という人がイイ意味でバカだからです。
これはとても失礼な言い方ですね。彼はとても純粋で天然で不器用という意味でバカなのです。
神様に対して何が一番大事かというと、それは『気持ち』です。
救ってほしいという「気持ち」、祓ってほしいという「気持ち」
真剣に向き合い、心を込めてお願いすれば、大概の人は動いてくれたり妥協してくれたりしませんか?
それは人間に似た神様も同じことなのです。
ですから、敬語を使う事ができない狩野英孝さんでも
それと向き合う純粋さが神様に届いているという事なのでしょう。
お祓いも同じ、神主が真剣でもそこに参加している人が信じてなかったり、真剣でなければ祓う事はできません。
多少、祝詞や祓い詞を言い間違えようとも、お祓いの手順を踏み間違えても、祭壇に供えるものが間違っていても
そんなことははっきり言ってどうでもいいのです。適当でいいのです。
それよりもどれだけ気持ちが入っているかが重要だということです。
お祓いの時に実際に読み上げる『大祓い』や『祓い詞』というのも古事記の中に書されているものであり
古事記を読み解くことは現代において不可能です。
大学教授や有識者と呼ばれる人たちが、今でも研究を重ねていますが
どれが正式な発音なのか、またそこに書かれている意味ですら、研究者が違えば解釈の仕方が変わってしまいます。
それでも、お祓いをすることができているわけですから
適当で良いのでしょうし、それよりも真剣さが大事だということなのでしょう。
皆様も、お祓いでないにしろ、神前に立つときは気を抜かず
その場だけでもいいので心を込めて祈ってみましょう。
信仰心に力は宿ります。信じる者は救われますからね。