修める
最近の教師や警察や政治家や政府というものを見ていると溜息しかでない。
傲慢かつ利己的であり、組織と組織内の地位と個人的財産を守ることしか考えていない。
性善説とは何なんだ?
性悪説とは・・・
と考えてしまう。
どちらも、学問のススメを説いたものであり
どちらの説も学問を修めることにより、人は本当の善に至るというもの
私の学生時代はまさに黒歴史
所謂『落ちこぼれ』という奴だ
学問なんて欠片もないほどのね
警察や政府など、なんらかの形で国を管理する上位に存在する人たちって
そこに到達するまでに多くの学問に触れ、それを学び修める必要があるのではないか?
『修める』の語源を調べてみよう
物事、文章、肉体と心などを整える事
人格を立派にしていくこと
それは修学、修行、修業に繋がるものであり真理に近づくこと
要するに、彼らは学問を修めていない
彼らにとっての学問とは、表面上をなぞっただけのもので、世間や学校からの評価にすぎないのだ
東大を卒業したにもかかわらず、私よりもバカな奴は山ほどいる
なぜなら、私は今になって学問に目覚め、深く真理を求めようとしているからだ
でも、この真理というやつは評価や成績にはつながらない
コロナの影響で学校が休校を余儀なくされ、学力低下が問題視されているニュースを見たとき
私ははっきりいって理解できなかった。
それは私が求めている『真理』というやつと国や世間が求めている『評価』や『成績』との違い
『真理』を求めるのに時間は関係ない、それと向き合う姿勢が重要だからである。
今、目の前に『学問』がある人は、その向き合い方とその先にあるものをよく考えてほしい
本当に自分が欲しているものはなにか?本当に自分に価値のあるものはなにか?
『真理』と『評価』は別物ではあるが、両方獲得することはできるからね。