行間
浅草の師匠と検索すると『深見千三郎』という人物が出てくる。
私の先生の一人であり、幻の浅草芸人と呼ばれるほどの人物だ
一生を舞台芸人として全うした人で、テレビには出なかったので
彼の動画はほとんど残っていない。
でも検索ワードからも分かるように
その当時、浅草で師匠と言えば深見と言われるほどの人気っぷりで
芸人仲間からだけではなく、浅草の街を歩けば、商店街から「よっ師匠」と声がかかるほど
彼のお笑いは飛びぬけて面白く、それでいて誰からも尊敬され慕われていました。
ある時、鳴かず飛ばずの若手芸人コンビが深見の楽屋に訪れます。
「師匠、今日も最高に面白かったです」
「師匠、唐突なお願いですが、今日師匠がやったネタ僕たちに譲ってくれませんか?」
すると深見は簡単に
「バカ野郎この野郎、こんなネタくらいくれてやるよ 勝手にもってけ」
『バカ野郎この野郎』は深みのいつもの口癖
でも以外にも簡単にネタを貰えてしまった。
二人は喜び勇んで、早速次の舞台で深見からもらったネタを完璧にやってみせた・・・
が、お客の反応は全くない。全く笑いが起きないのだ。
「何故?」二人には分からなかった
完全に一字一句間違いなくコピーしたはずのネタ
深見がやれば大爆笑、でも自分たちがやっても一切笑いが起こらない
要するに間が悪いんだ
言葉をメッセージように伝えればよいのではない
言葉と言葉の間、また時には芸人とお客の間、間の取り方ひとつで伝わり方がまったく変わるという事を
二人の芸人は分かっていなかったんだ。
要するに自分たちのネタが悪いわけじゃない
そこで、発生する間が大切だったんです。
現に彼らの全く受けなかったネタを深見がやってみせると、矢張りお客は大爆笑する。
これは現代日本でも、ネット社会になった今でも、きっと大切な事なのでしょう。
お互いが悪くないのなに、なぜかうまくいかないことがあるのなら
相手や自分を疑い責め合うよりも、その間が適正であるのか?過不足はないか?を見てみることが大事かもしれませんね。
間を詰め過ぎれば、相手に考える余地をなくしてしまう。
でも間が空きすぎれば、間延びしてしまう。
きっと言うほど、この間の調整は簡単なものではないと思う。
だから、簡単にネタをコピーするだけでは笑いは取れなかったんだ
なんども繰り返しおこない、どこでどれだけの間を持たせるべきなのか?
感覚的かもしれない、お客さんの状態にもよるかもしれないが、きっと0.1秒単位で調整し
そのネタを昇華させたものが、大きな笑いに繋がったのだろう。
若人よ。デジタルな世界だからこそ今や見難くなった『間』を見よ!!