多分大事なこと
私は名張毒ぶどう酒事件を研究しております。
正確には死刑囚と冤罪事件の研究をしております。
先日10回目のとなる再審請求が棄却されましたね。
今後11回目となる再審請求の手続きに入るそうです。
「名張毒ぶどう酒事件」
皆さんご存じないですよね。
統計を取ったところ「事件の名前を知っているが事件の内容は知らない」と答えた方が9割
また「犯人とされる奥西勝さんは死刑になるべきか?」という質問に9割の人が「死刑になるべきだ」と答えています。
私の個人的な研究では奥西さんは120%冤罪です。無罪です。犯人ではありません。
でも何も知らない人間が「彼は死んだほうがいい」と答えているわけです。
どういうことでしょう?
そうです。どうでもイイんです。
奥西さんは四十数年の独房生活の末、獄中死となりました。
死刑は執行されませんでした。死刑を執行しなかった?死刑を執行できなかった?
現在死刑は、執行2時間前に死刑囚に伝えられるそうです。
毎日毎朝、「今日死刑になるかもしれない」と考えて暮らす毎日というのはどこまで過酷だったことでしょう。
それは奥西さん本人にしかわかりません。
でも、世間の人たちから見たら、そんなのどうでもイイことなんです。
ちょっと待ってください。
これは日本で起きた事件であり裁判であり出来事なんですよ?
平穏に暮らしていた貴方が、いきなり明日『死刑囚』と呼ばれるかもしれないんですよ。
「それはあるかもしれないけど、一体何%の可能性だよ?」
というかも知れませんね。
100本中1本の当たりクジを、初回でいきなり引き当てる人もいますよね。
また過去を見れば、冤罪で死刑になった人は意外と多いんですよ。
私たちの身近に存在し、自分たちを守ってくれるはずの司法が
ある日突然、自分たちを殺す司法に変貌するんですよ。
そして一旦変貌したら、その死からは絶対に逃れることができないんですよ。
それを、世間のみなさんは「どうでもイイ」と仰っているんです。
私には到底考えられません。平和ボケにもほどがありますよ。
最初は少しでもいいです。
司法、死刑、冤罪、また名張の事件、袴田事件など考えてみてください。
私がどうしろとは言いません。
自分で考えるんです。自分ならどうするかをね。