2019年09月29日(日)

行間

浅草の師匠と検索すると『深見千三郎』という人物が出てくる。

私の先生の一人であり、幻の浅草芸人と呼ばれるほどの人物だ

 

一生を舞台芸人として全うした人で、テレビには出なかったので

彼の動画はほとんど残っていない。

 

でも検索ワードからも分かるように

その当時、浅草で師匠と言えば深見と言われるほどの人気っぷりで

芸人仲間からだけではなく、浅草の街を歩けば、商店街から「よっ師匠」と声がかかるほど

彼のお笑いは飛びぬけて面白く、それでいて誰からも尊敬され慕われていました。

 

ある時、鳴かず飛ばずの若手芸人コンビが深見の楽屋に訪れます。

「師匠、今日も最高に面白かったです」

「師匠、唐突なお願いですが、今日師匠がやったネタ僕たちに譲ってくれませんか?」

 

すると深見は簡単に

「バカ野郎この野郎、こんなネタくらいくれてやるよ 勝手にもってけ」

 

『バカ野郎この野郎』は深みのいつもの口癖

でも以外にも簡単にネタを貰えてしまった。

二人は喜び勇んで、早速次の舞台で深見からもらったネタを完璧にやってみせた・・・

が、お客の反応は全くない。全く笑いが起きないのだ。

 

「何故?」二人には分からなかった

完全に一字一句間違いなくコピーしたはずのネタ

深見がやれば大爆笑、でも自分たちがやっても一切笑いが起こらない

 

要するに間が悪いんだ

言葉をメッセージように伝えればよいのではない

言葉と言葉の間、また時には芸人とお客の間、間の取り方ひとつで伝わり方がまったく変わるという事を

二人の芸人は分かっていなかったんだ。

 

要するに自分たちのネタが悪いわけじゃない

そこで、発生する間が大切だったんです。

現に彼らの全く受けなかったネタを深見がやってみせると、矢張りお客は大爆笑する。

 

これは現代日本でも、ネット社会になった今でも、きっと大切な事なのでしょう。

お互いが悪くないのなに、なぜかうまくいかないことがあるのなら

相手や自分を疑い責め合うよりも、その間が適正であるのか?過不足はないか?を見てみることが大事かもしれませんね。

間を詰め過ぎれば、相手に考える余地をなくしてしまう。

でも間が空きすぎれば、間延びしてしまう。

きっと言うほど、この間の調整は簡単なものではないと思う。

 

だから、簡単にネタをコピーするだけでは笑いは取れなかったんだ

なんども繰り返しおこない、どこでどれだけの間を持たせるべきなのか?

感覚的かもしれない、お客さんの状態にもよるかもしれないが、きっと0.1秒単位で調整し

そのネタを昇華させたものが、大きな笑いに繋がったのだろう。

 

若人よ。デジタルな世界だからこそ今や見難くなった『間』を見よ!!

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