2016年10月29日(土)

真実の在り処

映画『インフェルノ』公開記念として、2夜連続で『ダ・ヴィンチ・コード』と『天使と悪魔』を放送していますね。

超有名作ではありますが、私は小説版しか読んだことがなかったので、昨晩はちょっと新鮮な気持ちで見させてもらいました。

今夜の『天使と悪魔』も楽しみにしているのですが、昨日の『ダ・ヴィンチ・コード』を見ていて感じたものは、真実は何処にあるのだろう?ということでした。

 

歴史の中で、キリスト教のいくつもの考えがまとめられ、不要な物は削除されて旧約聖書が完成しました。

そこでイエスという一人の男を人間とするのか神とするのか?神とするならばどうするのか?

その存在性や扱い方、ルールや規律は?

 

映画がすべての真実を描いているとは思いませんが、多かれ少なかれ隠ぺいや殺人がなければルールの統一は成り立たなかったことでしょう。

色々な人の立場で見ていくと歴史というものは面白いものですね。

それがこの映画の魅力のひとつなのかもしれません。

 

 

『真実』とは一体何なのでしょうね?

時の流の中に消えていった『真実』というものは解明することも証明することも不可能なのでしょう。

物理的なものであれば、解明も可能でしょうが、歴史は人が作ったものであり人には心という無形の領域が存在するわけですからね。

そのとき、その人がどういう考えで行動していたのかが分からなければ、歴史学者がいくら調査研究しようとも憶測の領域を超えないということです。

 

占い師という職業を数十年しておりますと、この『真実』というものを無視することができないことがあります。

憶測の領域を超えない以上、それらは人間原理と言いますか、個人原理の範囲内で出した答えにすぎません。

占いを使えばその範囲が多少は広がりますが、すべてが見えてくるわけではありません。

もし仮に真実が見えたとしても、それはとても残酷なもので、知らない方がよっぽどましだったかもしれません。

 

でも、人は隠されたものがあると覗きたくなっちゃうんですよね。

愚かですね♪

だからこそ、人という存在は不可思議で面白いのでしょう。

 

みなさんも時には『真実』はどこにあるのか?考えてみてください。

答えはでないでしょうが、今悩んでいることの解決策くらいにはなる可能性が十分にありますからね。

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